校長室便り

令和6年度 校長室便り⑦

  • 2024年10月15日
  • 校長室便り

令和6年度 第2学期始業式あいさつ

身につくこと
(身(実)になる)

生徒の皆さん、おはようございます。夏休みは、如何でしたか?充実しましたか?楽しく過ごせましたか?

まず、8月8日に発生した日向灘地震は、皆さんも驚きとともに恐怖を覚えたのではないでしょか? 姉妹校であるみどり幼稚園の子どもたちが、本校の大坪記念ホールに避難してきましたし、登校していた生徒の中にも安全を確保されるまで学校内でとどまった人もいたようです。近隣の住民の方も幾人か避難してきていました。そのような中、みどり幼稚園の園児の避難を手伝ってくれた生徒もこの中にいます。ありがとう。

私たちは、年に数回、防災に関する訓練を実施していますが、今回のような大きな地震が発生した際に、訓練のように行動できたでしょうか? 私は、ちょうど、その時には、外にいて、大地が揺れるのを身体で感じることができました。ある程度の冷静さは保てましたが、自分の身を守る行動やその後の対応については、反省しなければならない点がありました。皆さんは、どのように感じましたか。 生徒や保護者、家屋等に大きな被害が出たとの報告はありませんでしたが、この機会に、もう一度、防災に対する考えや認識を新たに、常日頃から災害時への備えをする必要があると考えたところです。 2学期にも防災訓練が予定されていますが、生徒も、教職員も、私たちみんなが高い意識をもって取り組んでいきたいと思っています。

さて、今日は、「身につくこと」という話をして終わりにしたいと思います。よく「誰だれは、○○が身についているね。」ということがありますが、その意味の「身につく」です。

生徒の皆さんは、学年や年齢の差こそあれ、これまで多くの経験や体験をし、また多くの知識や技能を学んできています。これからもさらに多くの経験や体験をすることでしょう。 第1学期の終業式の挨拶の中で、試行錯誤、越境、50センチ革命という話をしました。この夏休みに、ああでもないこうでもないと試行錯誤したり、自分の価値観を越えた経験をしたり、一歩踏み出して挑戦したりしたことがありましたか。 多くの経験や体験をし、様々な知識を得て、学んだことや行動したことが、実際に「身につく人」と「そうでない人」がいます。その差は、いったい何だと思いますか?

「そうでない人」の特徴は、「身についた」と勘違いしていることではないでしょうか。ある経験を経て、考えたことや乗り越えたことがあえれば、「私は、この経験で、○○が身についた。」ある知識を得て、「私は、○○が理解できた。」一つの経験や体験、知識の中だけで考えたり、理解したりしたことで、身についたと思ってしままっているのではないでしょうか。生徒の皆さんはどうですか?

一方で、「身につく人」は、ある経験や体験で、考えたり、悩んだり、失敗したりしたこと、また、ある知識を理解したことあった場合に、そのことを、他の機会やまったく違った場面での経験や体験で生かすことができる人、または生かそうと考えて行動できる人、そのような人が「身につく人」となっていると考えています。さて、皆さんは、どうですか?

少し具体的に話してみましょう。この夏休みに多くの経験や体験をしたと思います。例えば、部活動で遠征や合宿等に参加し、宿舎などで生活したとします。その際に、他校の生徒や保護者、地域の方と接した人もいることでしょう。そういった場所では、宮崎学園の部活動生として、食事があれば、その準備や片付け、関係者に会えば挨拶など、立派に実践できたのではないでしょうか。 では、いざ、部活動以外の学校生活ではどうでしょう。寮生活を送っている人はどうでしょう。他の場所で、経験や体験して、できたことが、学校生活へ帰ってくると「身についたことができる人」と「できない人」に分かれていることはないでしょうか? ここにいる生徒の皆さんは、部活動だけではなく、様々な活動で頑張って生活しているのに、「身につく人」と「そうでない人」で差が生まれていることを残念に思う時があります。

もう一つ別の話をしましょう。この夏休み、図書館へ行って勉強や読書をしたり、博物館やイベントなどに参加したり、映画を見たりした生徒もいるでしょう。そういった場所や、その時間では、皆さんは、どのような行動をとっていますか?これまでの経験や体験を生かして、自分の行動や会話は、周りにいる方々に配慮している人がほとんどだと思います。それは、そこの場所にいる人たちが同じ目的で、その空間と時間を共有していることを分かっているから、君たちのそれぞれが、周囲に配慮した言動ができるのだと考えます。自然に、身についていますよね。まさか、そのような場所で大騒ぎしている人はいませんよね!?

一方で、学校内ではどうでしょう。休み時間などは、生徒個々の目的はそれぞれなので、周囲に配慮することは少ないかも知れませんが、教室などで授業が自習になったり、ミヤガクタイムなどで、生徒個々で使える時間ができたりした際には、学ぶ場である場所と時間は、生徒皆が同じ目的を共有しています。

ところが、図書館や映画館、そして自習室などでは、できていることが、教室の中では、「できる人」と「そうでない人」が見受けられることがあります。これこそ、「身についている人」と「そうでない人」で違いがあるのかもしれません。皆さんは、どう思いますか?

さて、今年度、4月当初の始業式の校長挨拶で、私は「自考、自学」という目標、テーマを話しました。「自分で考え、自分で学ぶ」場合には、そして学ぶという同じ目的で場所と時間を共有している場合には、生徒の皆さんが、これまでの経験や体験、知識で得たものを生かして、身についている行動をぜひ発揮して欲しいと思っています。 繰り返しになりますが、生徒の皆さん。あなた達は、これからも多くの経験や体験をすることでしょう。様々な知識や技能を得ることでしょう。そこで身につけたものを、まったく違った他の場面でも発揮できるよう、日常の学びが「身についていく人」になって欲しいと思っています。 以上で、第2学期の始業式の校長挨拶とします。